法輪寺 (名古屋市東区)とは? わかりやすく解説

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法輪寺 (名古屋市東区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/24 07:35 UTC 版)

法輪寺
所在地 愛知県名古屋市東区東桜二丁目16番16号[1]
位置 北緯35度10分20.0秒 東経136度55分04.5秒 / 北緯35.172222度 東経136.917917度 / 35.172222; 136.917917座標: 北緯35度10分20.0秒 東経136度55分04.5秒 / 北緯35.172222度 東経136.917917度 / 35.172222; 136.917917
山号 一乗山[1]
本尊 木造法華経題目宝塔
別称 赤門寺[1]
法人番号 9180005001455
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法輪寺(ほうりんじ)は、愛知県名古屋市東区にある日蓮宗の寺院。山号は一乗山、本尊は木造法華経題目宝塔[2]

概要

創立年不詳[1]。連華院日芸により開山[1]。京都妙顕寺の末寺にあたる[3]。創立当初は青陽山妙国寺であり、所在地も尾張国清須であった[3]

慶長15年(1610年)の名古屋開府に伴い、元和6年(1615年)に名古屋城下の東寺町が形成された小川町に移転[2][3]承応3年(1654年)9月、住僧の日命が磔刑となり[2]、寺号を法輪坊に改めた。延宝7年(1679年)10月には法輪寺へと再び寺号を改めている[2][3]。山号が改められた時期はつまびらかでない[3]

元禄10年(1697年)、年明けより本堂を着工、8月に落成した[2]。13世・本是院日宣が庫裏を再建、19世・遠寿院日量は妙見堂を建立するなど境内も整備されたが[2]嘉永5年(1858年)11月に本堂より出火して妙見堂、鐘楼、山門を残して全焼、その後また再建されている[2][4]

近代

明治時点では本堂・庫裏・玄関・鐘楼・妙見堂・山門などが残されており、鐘楼の鐘には天明元年(1781年)の銘が入っていたという[2]。1945年(昭和20年)の名古屋大空襲による被害は免れたものの、周囲の戦災復興区画整理事業の進展に伴い、本堂や書院等を移築している[3]

脚注

  1. ^ a b c d e 日蓮宗名古屋寺院名鑑編集委員会 1981, p. 66.
  2. ^ a b c d e f g h 社寺編(1915)、pp.926 - 927
  3. ^ a b c d e f 日蓮宗名古屋寺院名鑑編集委員会 1981, p. 67.
  4. ^ 名古屋の史跡と文化財(1998)、pp.186 - 187

参考文献

関連項目

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