法輪寺 (京都市上京区)とは? わかりやすく解説

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法輪寺 (京都市上京区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/02 13:53 UTC 版)

法輪寺
所在地 京都府京都市上京区下ノ下立売通紙屋川東入
位置 北緯35度1分11.5秒 東経135度43分59.6秒 / 北緯35.019861度 東経135.733222度 / 35.019861; 135.733222座標: 北緯35度1分11.5秒 東経135度43分59.6秒 / 北緯35.019861度 東経135.733222度 / 35.019861; 135.733222
山号 大宝山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 1727年享保12年)
開山 大愚宗築禅師
開基 荒木光品宗禎居士
別称 達磨寺
法人番号 7130005001189
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法輪寺(ほうりんじ)は京都市上京区北野天満宮ゆかりの紙屋川畔にある臨済宗妙心寺派の名刹であり、通称「だるま寺」の名で親しまれている。 大愚宗築禅師を開山とし、荒木光品宗禎居士が開基。万海慈源和尚が創建。[1]

歴史

1718年(享保13年)大愚宗築禅師を開山とし、両替商である荒木光品宗禎が開基となり、万海慈源和尚が10年の歳月を要し、1727年享保12年)に創建したのである。爾来、春秋260年、三度の天災地変に遭い、寺運もまた盛衰があった。しかし近代にいたり、1933年昭和8年)、第10代の後藤伊山和尚を迎えるや、檀信徒の帰崇を一身に集め、大書院の建立が成った。伊山和尚は37歳の時に、名著『白隠和尚全集』を刊行している。戦後は起き上がり達磨堂を建立した。開基の荒木氏は両替商であり、武家の開基になる寺院の多い妙心寺派にあっては異色の禅刹である。[2]

伽藍

  •  本堂 単層、入母家、瓦葺、九六の本堂、享保3年(1718年)の建立。そして昭和になって、3年かけて初めて解体修理をして復元し、昭和58年(1983年)4月落慶。
  •  達磨堂 三国一を称する起上り達磨をはじめ、諸願成就に奉納された達磨およそ八千余をまつる。節分は多くの参詣者で賑わう。
  •  衆聖堂 一階には十六羅漢木像などがあり、階上には仏涅槃木像などと共にキネマ殿があり、阪東妻三郎田中絹代市川雷蔵石原裕次郎美空ひばり等の位牌が並べられている。衆聖堂は山田無文老師の命名である。。[2]

由緒、概要

創建当時からの本堂の他に起上り達磨堂などが並ぶ。コンクリート造の大法輪塔1階には多数のだるまを展示、2階には南太平洋方面の戦没者の位牌が英霊殿に、映画関係者がキネマ殿に、それぞれ祭祀される。

所在・アクセス

京都市上京区下ノ下立売通紙屋川東入(または御前通西入2丁目)

脚注

  1. ^ 『だるま説法 禅に生きる三十人』法輪寺住職 佐野大義監修 タナベ経営発行 1994年 87p
  2. ^ a b 『達磨寺』拝観パンフ 2004年

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