湯沢山茶くれん寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:45 UTC 版)
「法輪寺 (姫路市)」の記事における「湯沢山茶くれん寺」の解説
英賀城攻めを前に秀吉が立ち寄る、との報を受け、宝林寺では鑵子(茶釜)一杯に湯をたぎらせ、また雑兵が手を付けないようにと鑵子に蓋をくくりつけて、秀吉一行の来訪を待っていた。 そこへ雑兵数人のみを連れた軽装の秀吉が現れ、茶を所望する。住職は秀吉と気付かず、まず白湯を出したところ、「その鑵子の茶が欲しい」と言われた。傍に居た庄屋が「これは秀吉公に差し上げる茶なので、どうしても差し上げられません」と断ると、秀吉は呵呵大笑し「我こそ秀吉である」と名乗った。住職も庄屋も仰天し平伏した。 秀吉は戯れに「今後は『湯沢山茶くれん寺』と名乗るがよい」と言い、9石9斗9升9合の朱印状を与えたと伝えられる。 現在も境内に残るカヤの木は、秀吉来訪を記念して山主が植えたという。
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