没後の評価、作風など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 10:17 UTC 版)
「セシル・シャミナード」の記事における「没後の評価、作風など」の解説
生前の成功にもかかわらず、没後の20世紀後半は長らく忘却に甘んじてきた。しかし1990年代に《フルートと管弦楽のためのコンチェルティーノ》がたびたび演奏・録音されるようになり、その後はピアノ曲も復活を遂げている。 フランスの女性作曲家としては、ポーリーヌ・ヴィアルドやオーギュスタ・オルメスと同じく、伝統的にサロン歌曲の作品を多く作曲したが、器楽曲や、少ないながらもソナタ形式を踏んだ作品をいくつか作曲した点で、当時としては異色の女性作曲家であった。オルメスと違って管弦楽曲やカンタータの大作を遺していない。 約100曲のピアノ曲は、そのほとんどがキャラクターピースであり、当時「女性らしい」とみなされたいくつかの特質(構築性より叙情性の追究、繊細さ、柔和さ、優雅さ、しめやかさ、ウィット)が戦略的に強調されている。一方でそのような音楽的趣味は、クープランのクラヴサン曲からの影響を指摘する向きもある。 ドビュッシーとほとんど同世代であったものの、その音楽にはあまり好感が持てないと言い、マスネに傾倒していると述べた。しかし多くのピアノ曲は、彼女がむしろシャブリエとプーランクの間をとりもつ作曲家であったことを示している。
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