沖縄の密貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/14 08:58 UTC 版)
米軍軍政下の沖縄では1946年4月の通貨経済再開から、本土との民間貿易が自由に行われるようになった1950年ごろまで密貿易が行なわれていた。初期の密貿易は小規模のものであったが、与那国島などを中継点とする台湾ルート、香港ルート、奄美・鹿児島・宮崎・本土を結ぶ本土ルートがあった。一般的には密貿易というが、米軍にとっては、衣食住が決定的に欠乏している沖縄の現状下において生活必需品の流入は好都合であり、取り締まりを強めることもなかった。密貿易が盛んだった時代は与那国島は人口2万人を超えていたが、現在はその十分の一以下である。
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