沖縄の引揚者収容所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 06:14 UTC 版)
沖縄戦終結後も、本土や海外にいた多くの沖縄の移民、疎開者、元兵士は、米軍によって封鎖された沖縄に帰還することができない状態が続く。1945年10月以降から若干の引揚げが許可され、米軍は米軍基地久場崎桟橋を引揚げ港に指定しそこで引揚者を管理した。久場崎収容所に検疫所が設置され、そこから内陸部に入った当時の美里村字高原(今の沖縄市高原)にあった米海軍部隊駐屯跡に一旦収容した。これがキャステロ海外引揚民収容所で、ひろくインヌミ収容所やインヌミ屋取(ヤードゥイ)という名で知られるようになった。 沖縄の引揚げ港と引揚者収容所久場崎収容所 (久場崎学校地区) 中城村久場崎海岸 インヌミ収容所 (キャステロ海外引揚民収容所) 沖縄市高原
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