江戸幕末滞在記
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『江戸幕末滞在記』(えどばくまつたいざいき)は、1866年から1867年にかけてフランス海軍の士官として横浜、兵庫、大阪を訪れたデンマーク人、エドゥアルド・スエンソン(Edouard Suenson,1842 - 1921)による見聞録。原題は『日本素描』(Fra All Lande)で、デンマーク文学者・比較文学者の長島要一(コペンハーゲン大学特任教授)が完訳して1989年に刊行した。
- ^ (スエンソン 1989:11)
- ^ スエンソンは、この時期の上海の気候を嫌がっていたために喜んで誘いの言葉に甘えたとしている。(スエンソン 1989:12)
- ^ 周辺より高い場所にあるために「お山」と呼ばれている。またそこに勤務している海軍士官も「お山の将校」と呼ばれる。(スエンソン 1989:25)
- ^ 両脚にかなりの負傷を負った。(スエンソン 1989:203)
- ^ 1866年11月26日に出火。末広町を中心に燃え上がり、外国人居留地まで延焼した。(スエンソン 1989:123)
- ^ 謝肉祭最後の日、肉食を許された火曜日(スエンソン 1989:137)
- ^ 艦のボートのほうが早く乗り心地が良いために、幕府からの使いを断っている。(スエンソン 1989:142)
- ^ ローズ提督が次の郵便蒸気船で届く重要な急送公文書を待っていたために、スエンソンもそれに伴い横浜へ戻った。(スエンソン 1989:147)
- ^ 公使は横浜宛に手紙を送っているが、日本の郵便に手抜かりがあって着くべき時に届いていなかったということであった。(スエンソン 1989:163)
- ^ 慶喜を待つ間にロッシュ公使に接して、その陽気さと機知に深く感銘している。(スエンソン 1989:165–167)
- 1 江戸幕末滞在記とは
- 2 江戸幕末滞在記の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
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