永代借地権を巡る紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:53 UTC 版)
「神戸外国人居留地」の記事における「永代借地権を巡る紛争」の解説
前述のように、外国人による土地所有を認めない方針をとる明治政府は、居留地内の土地を永代借地(無期限の借地。事実上の所有)として外国人に貸与した。永代借地権は居留地返還後も存続したが、返還後日本側は永代借地の上に建つ家屋に課税する方針を打ち出した。これに対し外国側はすでに地税が徴収されているにもかかわらずさらに家屋への課税を行うことは二重課税に当たり不当であると反発し、1902年(明治35年)に日本政府が常設仲裁裁判所に提訴する事態に発展した。この提訴は1905年(明治38年)に日本側の申し立てが棄却される結果に終わり、日本側は永代借地上の家屋には一切の課税ができないことになった。 税の徴収が不可能となった神戸市は1933年(昭和8年)より永代借地権撤廃に向けて行動を開始し、1936年(昭和11年)9月に同様の問題を抱えていた横浜市、長崎市とともに協議会を発足させると、両市と協力して外国側との折衝を行った。その結果1937年(昭和12年)3月に、1942年(昭和17年)4月1日をもって永代借地権を消滅させ土地所有権に切り替え、その代わり切り替え後5年間は地税を免除することで合意が成立した。 条約上の居留地返還は1899年(明治32年)7月17日であるが、居留地の完全な消滅、居留地の歴史の終焉は永代借地権が解消された1942年(昭和17年)4月1日であるとされる。
※この「永代借地権を巡る紛争」の解説は、「神戸外国人居留地」の解説の一部です。
「永代借地権を巡る紛争」を含む「神戸外国人居留地」の記事については、「神戸外国人居留地」の概要を参照ください。
- 永代借地権を巡る紛争のページへのリンク