民由合併・民主党時代
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2003年に菅直人民主党代表と小沢一郎自由党党首による民由合併に伴い、民主党議員となる。 2006年3月31日に民主党代表の前原誠司が、堀江メール問題の責任をとり辞任を表明。前原の辞任に伴う4月7日の代表選挙で小沢一郎の推薦人に名を連ねた。 2007年7月、第21回参議院議員通常選挙に、新潟県選挙区から民主党公認で立候補して再選される。2009年12月の小沢訪中団に参加し、中華人民共和国を訪問する。 2011年に野田内閣で文部科学副大臣に就く。 2012年に野田内閣による消費増税法案の閣議決定に抗議して3月30日に文部科学副大臣の辞表を提出し、4月4日の持ち回り閣議で了承された。7月2日に民主党へ離党届を提出し、7月3日に受理された。
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