母D殺害事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/09 12:24 UTC 版)
「北九州監禁殺人事件/del20140716」の記事における「母D殺害事件」の解説
1998年1月20日、度重なる通電によって奇声を発するようになったYの母親Dの処遇について、XはYとその妹E及びEの夫Fに対応策を練らせた。Dの処遇についてYらが精神病院入院や別の住居に引っ越すなど殺人以外の方法を提案したがをXはことごとく却下し、Yらが殺害を提案すると「一家の決断であること」を強調した。Fが「Dがよくなるかもしれないので、もう少し様子を見るべき」と主張したことに対し、Xは「今は暴れていないが、殺す段階で暴れるようになったら、殺害が困難になる」とまくし立てた。さらにXは「どうやって殺すんだ」とYらに考える余裕を与えさせないまま、殺害を既定方針として進める。Yらは部屋にあった電気コードをXの許可を得て借りたが、Yが解体道具購入を優先することを提案した際にはXは「買いに行っている間に声が外に漏れたらどうする?」と殺害を優先するように暗に要求した。
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