歴史・概況とは? わかりやすく解説

歴史・概況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 13:46 UTC 版)

亘利城 (尾張国)」の記事における「歴史・概況」の解説

戦国時代1533年美濃国戦国大名土岐頼芸家臣である、松原源吾とその弟である松原内匠によって、尾張国葉栗郡松原島村築かれる松原氏は、葉栗郡松原島村(現各務原市)、野中村(現岐南町)を治める、有力な土豪であった松原氏蜂須賀正勝ら他の木曽川流域土豪と同様、土岐氏斎藤氏織田氏等に仕えている。松原氏は陰で活躍することが多く松原源吾は斎藤道三密命を受け、1544年織田信秀無動寺城攻めた混乱利用して城主土岐八郎頼香を攻め自害追い込んでいる。また、松原内匠は、1566年墨俣城築城の際、松倉城入り大工棟梁として指揮とっている。 1585年洪水により木曽川流れ一変し新たな川筋尾張国美濃国の境となる。このため、亘利城は、尾張国葉栗郡松原島村から、美濃国羽栗郡松原島村変更される松原島村木曽川中洲となったため、水害がひどくなり、亘利城1586年廃城される。 松原氏一族は、野中村若宮寺平島村(現岐南町)、及び米野村無動寺村円城寺村(現笠松町)に移住した。現在もこの地域には松原姓が多く見かけられる。 亘利城跡地には川瀬氏と野田氏移住し、現在に至る。今も城屋敷茶屋敷といった地名字名)が残っている。また、この地域地名が渡(わたり)というのは、亘利(わたり)から変化した考えられている。

※この「歴史・概況」の解説は、「亘利城 (尾張国)」の解説の一部です。
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