松原内匠とは? わかりやすく解説

松原内匠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/08 07:51 UTC 版)

松原 内匠(まつばら たくみ、1530年享禄3年)? - 1604年慶長9年)?)は、戦国時代の武将。亘利城城主。

境川(木曽川)沿いの国人川並衆)の一人であり、兄の松原源吾とともに土岐氏斎藤氏織田氏などに仕えた。境川を熟知し、操船術に長けていた。また、建築術に長けていたという。

経歴

  • 尾張国葉栗郡松原島(後の美濃国羽栗郡松原島、現岐阜県各務原市)生まれ。松原氏は松原島の亘利城を拠点とし、境川沿いの葉栗郡11ヶ村(現在の岐阜県各務原市西部、羽島郡笠松町東部、岐南町南部)を支配していた。
  • 当初は土岐頼芸に仕えていたが、土岐氏の衰退に伴い斎藤道三に仕えた。天文13年(1544年)、織田信秀と斎藤道三の戦い(松山の合戦)のさい、斎藤道三の密命で、兄の源吾と協力して、土岐八郎頼香を無動寺城で自害に追い込む。
  • 永禄7年(1564年)ころに木下藤吉郎と出会う。
  • 永禄9年(1566年)、木下藤吉郎による墨俣城築城の際、大工棟梁を任じられ、重要な役割を果たす。これが稲葉山城攻略の大きな手助けになったとされる。
  • 永禄10年(1567年)、家督を松原源吾より譲られ亘利城城主となる。
  • 天正13年(1585年)に発生した大洪水により木曽川の流れは一変する。この洪水で亘利城と松原氏の領土に大きな被害を受けることとなり、翌年には亘利城は廃城される。以降は被害の少なかった領土の開墾に力を入れ、拠点も野中(現・岐南町)に移す。
  • 文禄4年(1595年)に松原島で隠居。松原氏の領土は関ヶ原の戦い以降旗本坪内利定の領土となる。




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