武装勢力に対する掃討作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 20:57 UTC 版)
「ファルージャの戦闘」の記事における「武装勢力に対する掃討作戦」の解説
2004年はシーア派のムクタダー・サドル師が武装抵抗を活発化させ、ことに4月及び8月には激しかった年でもある。4月にはナジャフ、クートで連合軍と衝突しクートでは市街地からウクライナ部隊が一時撤退を強いられたほか、ナジャフは一時的に連合軍の手を離れている。 また、バグダードのティグリス川東岸にあるサドルシティでも米軍と激しい戦闘を繰り広げている。5月以降、シーア派武装勢力が南部を中心に米軍に対して攻勢にでている。8月中にはムクタダー・サドル率いる民兵組織「マフディ軍団」がシーア派の聖地であるナジャフ、中部のクート、南部最大の都市バスラなどで一斉蜂起した。しかし、マフディ側は数十名の死者を出したすえ、下旬に武装抵抗を停止するに至った。 一方、南部での紛争が続く間、スンニー・トライアングルでは武装勢力の動きが活発化した。このため、9月に入ると米軍はこれらの掃討を行う必要に迫られた。9月上旬にモースル、マハムディア周辺、ラマーディーを攻撃、10月にはサマラを攻撃し、武装勢力を掃討した。この一連の掃討作戦中にもっとも持続的に攻撃が行われたのがファルージャであった。 他の都市では短期間で戦闘を終結させたが、ファルージャに対しては連日緩やかに攻撃を加えて包囲掃討作戦への下準備とした。
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