武蔵川部屋とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 武蔵川部屋の意味・解説 

武蔵川部屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/01 20:56 UTC 版)

武蔵川部屋

武蔵川部屋(むさしがわべや)は、日本相撲協会に所属している出羽海一門相撲部屋

歴史

2003年11月場所中に現役を引退して、以降は旧武蔵川部屋(2010年以降は藤島部屋)付き親方となっていた15代武蔵川(第67代横綱・武蔵丸)が、2013年4月1日に力士2人と床山1人を連れて藤島部屋から分家独立する形で武蔵川部屋を再興した[1]。部屋の施設は2012年12月に閉鎖された中村部屋の建物を借り受けている。

2013年8月29日には17代(元小結・垣添)が藤島部屋から移籍して部屋付き親方となったが、2020年9月28日に入間川部屋へ再転籍した[2]

また九州場所の際に使用する宿舎は中間市にあり、宿舎の誘致は市長を3期務めた松下俊男が発起した[3]。名古屋場所での宿舎は名古屋市中区大須の萬松寺である。

所在地

師匠

旧・武蔵川部屋

12代時代

  • 1931年に12代武蔵川(元幕下・鴨緑江)が当時の中川部屋の師匠である7代中川(元幕内・鬼鹿毛)が亡くなった後に、残された弟子たちを引き取る形で武蔵川部屋を創設した。三熊山が幕内に昇進したものの、1933年に12代武蔵川は武蔵川部屋を閉鎖し、三熊山を含めた弟子は鏡山部屋へ移籍した。

14代時代

  • 14代武蔵川(元横綱・三重ノ海)が、1981年8月に5人の弟子を率いて、出羽海部屋から分家独立する形で武蔵川部屋を創設した。2010年9月30日に14代武蔵川は部屋の師匠の座を部屋付き親方である18代藤島(元大関・武双山)へ継承。継承の際年寄名跡は交換しなかったため、武蔵川部屋は藤島部屋へ名称を変更した。

脚注

  1. ^ 武蔵川部屋は2006年9月28日に年寄が部屋を新設できる条件を定めた規定が設けられて以降その条件に基づいて新設された初めての相撲部屋である。
  2. ^ 雷親方が入間川部屋へ 大相撲」『時事ドットコム』2020年10月1日。2020年10月1日閲覧。
  3. ^ 大空出版『相撲ファン』vol.06 p62

関連項目

  • 武蔵國真武 - 15代武蔵川の甥。2019年9月場所限りで引退、最高位幕下東26枚目。

外部リンク

座標: 北緯35度42分46秒 東経139度51分51.4秒 / 北緯35.71278度 東経139.864278度 / 35.71278; 139.864278



このページでは「ウィキペディア」から武蔵川部屋を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から武蔵川部屋を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から武蔵川部屋 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「武蔵川部屋」の関連用語

武蔵川部屋のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



武蔵川部屋のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの武蔵川部屋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS