武田信廉(たけだ のぶかど) ????~1582
武田信廉
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武田 信廉(たけだ のぶかど)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。甲斐武田氏第18代当主・武田信虎の六男。母は大井の方で、信玄や信繁の同母弟。後に出家して逍遙軒信綱(しょうようけんしんこう)と号す。武田二十四将の一人。一般に逍遙軒(しょうようけん)として知られる[注釈 1]。
注釈
- ^ 号である逍遥軒の逍遥には遁世の意味合いが含まれる。
- ^ 『森家先代実録』によれば、逍遥軒は各務、豊前らが現れた時には刀を膝に置いたまま離さずに警戒した様子であった為、各務が一計を案じ、森長可所有の名馬「百段」を見せると偽って逍遥軒を外へ誘き出して一太刀を浴びせ、豊前が止めを刺したという。
- ^ 織田信忠が、信廉の身柄を預かっていた森長可に命じた。
- ^ 常盤山文庫にも画中の膝に「逍遥軒」の隠し落款がある「束帯天神図」(重要美術品)が所蔵されているが、信廉とは別人の逍遥軒作とする説もある[4]。
- ^ 他にも身延町南松院に伝わる「穴山信友婦人像」が、画風の類似から逍遙軒筆の可能性が指摘されている[5]。信憑性はやや落ちるが、武田氏と縁が深い高野山成慶院には、信廉筆と伝えられる「十王図」や「十二天図」が残っている。
出典
武田信廉(声:菅沼久義)
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「決戦III」の記事における「武田信廉(声:菅沼久義)」の解説
信玄の弟で史実では兄の影武者を務めた。武略より絵画を得意とした武将としても有名。長篠決戦の敗戦後も生き残り、甲州征伐にも勝頼に従い戦う。
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武田信廉(たけだ のぶかど)
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「センゴク」の記事における「武田信廉(たけだ のぶかど)」の解説
通称は逍遥軒、甲州征伐編以前は法号の信綱(しんこう)を「のぶつな」と呼ぶかたちで登場していた。信玄の弟であり、勝頼にも信頼される一門衆。三方ヶ原の戦いや長篠の戦いで主力軍を率いる。勝頼らが推し進める新体制にも理解を示していたが、織田軍の甲州攻めでは大島城を放棄して、逃亡する。
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