歌学としての国学の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/04 13:18 UTC 版)
国学の源流は、木下勝俊、戸田茂睡らによって、江戸時代に形骸化した中世歌学を批判する形で現れた。そうした批判は、下河辺長流、契沖の『万葉集』研究に引き継がれ、特に契沖の実証主義的な姿勢は古典研究を高い学問水準に高めたことで高く評価された。彼らの『万葉集』研究は、水戸学の祖である徳川光圀が物心両面で支えた。水戸の『大日本史』編纂と国学は深い関連を持っている。 続いて、伏見稲荷の神官であった荷田春満が、神道や古典から古き日本の姿を追求しようとする「古道論」を唱えた。そして賀茂真淵は、一部において矛盾すら含んだ契沖と春満の国学を体系化し、学問として完成させた。真淵は儒教的な考えを否定して、古い時代の日本人の精神が含まれていると考えた『万葉集』の研究に生涯を捧げた。
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