次々と起こされる訴訟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 13:27 UTC 版)
1952年6月には、駿豆鉄道バスの運行に対して課せられていた制限は撤廃され、駿豆鉄道バスは便数や停車地の制限なく小田原発着のバスを運行することができるようになった。これと同時に、運輸省では箱根登山鉄道に対して、乗り入れ協定を路線免許に切り替える方針の内示を行ない、箱根登山鉄道は1952年7月21日に路線免許の申請を行った。 これに対して、駿豆鉄道は「運輸省の一部官僚を利用して行政権を乱用させている」として訴訟を起こした。さらに、1953年9月には、箱根登山鉄道社長や小田急社長だけではなく、運輸省事務次官や同省自動車監理課長をも相手取り、詐欺・職権乱用・道路運送法違反であるとして東京地方検察庁に対して告訴を行った。これは告訴する方が不利になるだけとみられたことから、運輸省の関係者も驚いたが、堤康次郎は「不利とか何とかという問題ではない」として引き下がらなかった。これらの件はその後和解となった。 さらに、1954年7月には「駿豆鉄道の船が発着する湖尻を箱根登山鉄道バスが通過し、箱根観光船の発着する湖尻桃源台まで運航したため損害を蒙った」として、箱根登山鉄道を相手取って静岡地方裁判所に賠償を求める訴訟も起こしていた。この件は東京高等裁判所で駿豆鉄道が勝訴した。
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