標剣との同一視
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 17:44 UTC 版)
「節刀」も参照 標剣は節刀のことを指し、天皇が出征する将軍または遣唐使の大使に持たせた任命の印となる刀剣で、蝦夷征討においては天皇から征夷大将軍に賜与された記録がある。賜与された節刀は、将軍職や遣唐使大使などに任命された者の任務が終わると、その報告とともに天皇へと返還される。 『日本紀略』によると、田村麻呂が征夷副使となった延暦十三年の征夷(桓武朝第二次蝦夷征討)では、延暦13年(794年)2月1日に征夷大使大伴弟麻呂が節刀を賜与されているものの、田村麻呂は征夷副使の立場のため、この戦役で節刀が賜与されたとは考えられず、また史料にもそのような記述が見られないことから、牧の述べる「最初は黒漆剣とも呼ばれた標剣を田村麻呂が第二次征伐で佩用した」という歴史的事実は確認出来ない。 田村麻呂に節刀が賜与された事例としては、征夷大将軍となった延暦二十年の征討(桓武朝第三次征伐)で延暦20年(801年)2月14日となるが、同年10月28日に帰京すると報告とともに天皇へと返還している。征夷大将軍に還任した延暦23年(804年)の事例では、翌年に起こった徳政相論により蝦夷征討が中止されたため田村麻呂が出征しておらず、節刀を賜与されることもなかった。そのため、田村麻呂が生涯に渡って標剣を持ち続けたという事実はない。 また牧は標剣をそはやのつるぎともしているが、標剣とそはやのつるぎを結びつける一次史料が挙げられていないため、「標剣(そはやのつるぎ)」としている点にも疑問が残る。
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