楊昂
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張魯の将。 おそらく楊帛と同人である。紙に書かれた名を写し間違えたものと考えられる。 建安十八年(二一三)正月、馬超が蛮兵を率いて涼州諸郡を攻撃しとき、張魯は楊昂を派遣して彼に助勢させた。郡県のほとんどが呼応し、ただ冀城だけが残っていた。八月、涼州刺史韋康は楊阜の諫めを聞き入れず、馬超に使者をやって降服した。楊昂は韋康を漢陽太守とともに殺害した《楊阜伝》。 二十年七月、曹操の大軍が陽平関に押し寄せると、張魯の弟張衛は独断で兵を出し、楊昂とともに陽平関を守った。曹操軍はこれを攻撃したが多くの死傷者を出し、食糧も底を突いたので引き揚げようとしたが、高祚らの部隊が誤って張衛陣営に迷い込み、張衛は敵の奇襲だと思って敗走した《武帝紀・張魯伝》。 【参照】韋康 / 高祚 / 曹操 / 張衛 / 張魯 / 馬超 / 楊阜 / 漢陽郡 / 冀県 / 陽平関 / 涼州 / 刺史 / 太守 |
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