植物地理学とフンボルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 08:59 UTC 版)
18世紀から19世紀初頭にかけて、フランスやイギリスといった大きな海事力をもつ国々は、他国との海洋商業確立、新しい自然資源の発見と目録作成を目的に、多くの遠征に出帆した。18世紀初頭に知られていた植物種はおよそ2,000種であったが、19世紀初頭になるとその数は4,000種に増え、現在では400,000種に達している。 これらの遠征には多くの科学者が参加し、中には植物学者も含まれていた。ドイツの探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトもその一人であり、エメ・ボンプランと組んで1799年から1804年にかけて行ったスペイン領アメリカの探検によって知られる。フンボルトは生物-環境間の関係に初めて着目したという点から、しばしば生態学の真の父と考えられている。彼は観察された植物種と気候、緯度・経度を用いて記述された植生区分との間に関連があることを明らかにした。このような領域は、現在では植物地理学として知られている。1805年に出版された『Idea for a Plant Geography』はフンボルトの代表著作の一つとされる。また、彼は同時に動物の垂直分布をも明らかにした。 他の重要な植物学者としては、オイゲン・ワルミングなどがいる。
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