桜町時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:02 UTC 版)
ナスを食べたところ、まだ夏の前なのに秋のナスの味がしたことから、その年は冷夏になることを予測。村人たちに指示して冷害に強いヒエを大量に植えさせた。尊徳が予測した通りその年は冷夏となり、天保の大飢饉が発生したが、桜町ではヒエの蓄えが十分にあったおかげで餓死者が出なかったばかりか、余分のヒエを周辺の村々にも分け与えることができたという。 開墾して間もない田畑は、既存の田畑と比べて租税負担が軽いことに注目し、新しい田畑の開墾を積極的に奨励した。 村人たちの開墾作業を見回っていた時、一人の男が他の村人の何倍も激しい勢いで仕事をしている様子を見て、「そのような勢いで一日中働き続けられるはずがない。お前は他人が見ている時だけ一生懸命に働く振りをして、陰では怠けているに違いない」と怒鳴り、村人たちの前で男の不正を厳しく叱ったという。 その一方で、年老いて無力ながらも陰日向なく真面目に働き、他の村人たちがやろうとしない木の切り株を掘り起こす面倒な作業を毎日地道に続けてきた出稼ぎの老人に対しては、開墾に邪魔な木の切り株を彼が全部取り除いてくれたおかげで他の村人たちの作業が容易になり開墾がはかどったという理由から、通常の賃金のほかに慰労金として15両もの大金を与えたという。 成田山に引きこもっていた際、そこで出会った老婆に教えられ、小谷三志と出会い、「農民や役人が自分に従わないと仕事をはじめないと思っておられるようですが、いちばん大切なのは復興なのでは?」との小谷の言葉で、まず役人と村人を改心させようとした自分の完全主義に無理があると悟り、説得より復興作業をまず開始しようと決心して、桜町に帰ったという。
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