桓武平氏大掾氏一門鹿島氏分流 梶山氏
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梶山氏の本姓は平氏。家系は常陸平氏大掾氏の一門・鹿島氏の庶流といい、鹿島三郎政幹の子、中居四郎時幹の次男 時家が梶山姓を名乗ったのがはじまりとされる。家紋は丸に違い鷹の羽、丸に立ち沢潟。 系譜 鹿島三郎政幹―中居四郎時幹―梶山次郎時家 応永3年(1396年)、梶山幹継なる者あり、掃部介と称すと『鹿島文書』に見え、同年に記された『神宮寺言上目安状』に梶山幹継が社領を横領するとある。 この他、佐竹氏の家臣としてもその家系が確認される他、その一族、梶山肥後は佐竹家臣 小野岡義従に仕えるよう命じられ、秋田転封に随行し、子孫は秋田藩士 小野岡氏の家臣として存続したという。 系譜 梶山肥後―肥介
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