桓武平氏北条氏流の北氏
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桓武平氏北条氏流の北氏は美作国発祥の氏族である。この北氏について『美作名門集』が「北条高時の二男・北条時行の長子・伊勢小次郎時長の4代のちの子孫・伊勢駿河守照康の弟・弾正氏清・山名教清の婿となり、嘉吉元年(1441年)3月、久米郡北分北方に築きて居る。応仁年中、細川、山名の京師に戦うや、教清の子・政清ら、持豊を援く。赤松政則・そのところに乗じ、岩屋城を攻撃す。氏清敗戦し、その長子は大河原大膳利輝と号す。その後弾正利季、監物時教を経て、氏則に至り、天正9年(1581年)毛利輝元の撃破するところとなり、落城戦死す。長子左衛門尉利親・北方に隠る、これを北氏の祖とす。弟右衛門尉時教は叔父江原親次の輔育するところとなり、文祿の役親次の将となりて陣中に死す」と言い伝えを記している。
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