松澤知恵とは? わかりやすく解説

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松澤知恵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/13 04:45 UTC 版)

松澤 知恵(まつざわ ちえ、1909年明治42年)[1] - 没年不詳[2])は、昭和初期の社団法人日本放送協会東京中央放送局の女性アナウンサー

来歴・人物

群馬県桐生市出身[1][3]。7人姉弟の2番目として生まれる[3]。桐生で生まれた後、すぐ京都へ移り、小学校入学の時に東京へ転居。女学校時代は再び桐生へ戻り、その後大阪へ移る[3]。大阪府女子専門学校(後の大阪女子大学 → 現・大阪府立大学国文科卒業[3]。学生時代の1930年2月に大阪放送局にて童話の放送への出演を経験している[3]。最初、学校を卒業した後は国語教員になろうと思っていた[3]。学校を卒業した後、父の転勤により東京へ移り住む[3]。長姉が嫁いだ後に、当人については「良い働き口があれば、働きに出したい」と方針が変わり、1932年に東京中央放送局がアナウンサーを募集した際、親がたまたまラジオを聴いていてそのアナウンサー募集を知り、アナウンサー受験を勧めて叔母の家へ手伝いに行っていた先の桐生から東京へ戻る[3]。1380人の応募者の中から150倍の競争率の中で選ばれて6月に入局した9人のうちのひとり、また、東京勤務となった2人のうちのひとりであり[4][3]、東京中央放送局では松崎千代子以来5年ぶりの女性アナウンサーとなった[3]

入局当初は鼻濁音の発音が苦手で、新人時代に厳しく矯正指導を受けた[3]。初放送は入局した年、1932年7月7日放送の『料理献立』であり、これはこの番組を女性アナウンサーが担当した最初であった[4]。このときの放送内容は、後に松沢自身によって再現されて録音が残され、NHK放送博物館東京都江戸東京博物館で公開された[4]。また、当時は女性アナウンサーは担当しなかった『経済市況』一度だけ担当したことがある。これは通常時に担当している男性アナウンサーが遅刻したための代理担当であった[3]

和服で局に来られると「ダラダラしているように見える」ということで、初任給の大半を洋服代に費やしたという[3]

毎日多くのファンから手紙が届き、一日放送を休んだだけで見舞状が届いたという人気ぶりで[3]、前述の経済市況を代理で担当した時も「経済市況は女性に担当させよ」との好感の投書も来た[3]上野駅からの中継放送の時には、運転士が彼女の声に気を取られて発車が少し遅れてしまったという逸話もある[3]。そして室生犀星は、松沢の声について「春の朝のウグイスを聞くような」と評したという[5]

後にのどを痛めて体調を崩し、一時的な音声障害に陥ったため、1937年4月12日の放送を最後にマイクの前から退いたとされている[3]。同年4月以降もアナウンサーとして籍を置いていたが、1938年4月初旬の都新聞内の記事には「異動があってマイクから離れ、教養課に移って専ら放送事務」を務めているとある[3]。教養課では女性職員らの教育などを担当し、太平洋戦争後は『主婦日記』『女性教室』『明るい茶の間』『メロディーにのせて』『私の本棚』など各番組の制作を担当した[3]独身のままNHKで勤め上げ、1968年定年となった後も、日本放送出版協会(現・NHK出版)に出向し、料理番組のテキストの編集を10年ほど続けた[3]

退職後、雑誌の記者による取材に対し「女性の先駆けだからと、無理したことはありません。ただ放送の仕事が好きだったのよ」と語っている[3]

日本放送協会 (NHK) が1995年にまとめた音声資料『NHK音でつづる放送70年』には、「女性アナウンサーの仕事ぶり」と題して、松澤がアナウンサーを務めた『日用品の値段』が収録されている[6]

脚注

  1. ^ a b 道の駅めぬま にっぽん女性第1号資料ギャラリー(PDF)”. 熊谷市. 2025年2月22日閲覧。
  2. ^ ジェロントロジー・リサーチ・グループ(GRG)」の長寿者ランキングリストには当人は掲載されていないため、既に故人になっていると思われるが、詳細な没年月日は各出典においても確認出来ず。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 大島幸助『銀座フルーツパーラーのお客さん - そのサインと生涯』、文園社、2002年 ISBN 4893361759 「松沢知恵(アナウンサー)」(218頁から)
  4. ^ a b c 南利明「ラジオ初期の料理番組」『放送研究と調査』第47巻第7号、日本放送出版協会、1997年、63-64頁。  NAID 40004969130
  5. ^ 廣谷鏡子「口述」<「文書」ではない。:オーラル・ヒストリーがひらく、放送史の新たな扉」『放送研究と調査』第62巻第11号、NHK放送文化研究所、2012年11月、38頁。  NAID 110009491681
  6. ^ 「NHK音でつづる放送70年」資料情報”. 大阪府立図書館. 2017年5月2日閲覧。

関連項目

  • 翠川秋子 - 日本初の女性アナウンサー(1925年入局)



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