松本賢一 (政治家)とは? わかりやすく解説

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松本賢一 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/04 06:09 UTC 版)

松本 賢一(まつもと けんいち、1903年明治36年)11月26日[1][2][注 1] - 1990年平成2年)11月26日[1][2])は、昭和期の実業家政治家参議院議員(2期)、広島県呉市長

経歴

広島県[1][2][3]松本勝太郎の三男として生まれる[4]東洋大学印度哲学科を卒業し[1][2][3][注 2]、1932年(昭和7年)からベルリン大学に留学し[3]哲学歴史地理を研究した[4]

農場経営を行い、呉市信用組合長を務め[3]、1950年(昭和25年)三津窯業社長となる[1][2]。1954年(昭和29年)4月、呉市長に就任[1][2]。2期在任し[1][2][3]、台風災害からの復旧、呉市民大学講座の開設、近隣町村との合併、呉豊栄高等学校(現呉市立呉高等学校)の新設、呉少年合唱団の創設などに尽力した[2]。1961年(昭和36年)10月に市長を辞職した[2]

1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙広島県地方区から日本社会党公認で出馬して初当選[1][2][3][5]。1968年(昭和43年)7月の第8回通常選挙でも再選され[5]、参議院議員に連続2期在任した[1][2][3]。この間、参議院決算委員長、社会保障制度審議会(現社会保障審議会)委員、中国地方開発審議会委員、社会党広島県本部委員長、選挙制度審議会特別委員などを務めた[1][2][3]

1990年(平成2年)11月26日死去、87歳(生没同日)。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[6]

著作

  • 『日本地図集:欧洲古版』十一組出版部、1943年。
  • 『市長の休日帖』垂水書房、1963年。
  • 編『南蛮紅毛日本地図集成』鹿島出版会、1975年。

親族

脚注

注釈

  1. ^ 『日本の歴代市長 第3巻』115頁では11月16日。
  2. ^ 『日本の歴代市長 第3巻』115頁では中退。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『新訂 政治家人名事典』582頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『現代物故者事典 1988~1990』590頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』413頁。
  4. ^ a b 『日本の歴代市長 第3巻』115頁。
  5. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』504頁。
  6. ^ 『官報』第525号9-10頁 平成2年12月10日号

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、1983年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1988~1990』日外アソシエーツ、1993年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
木村禧八郎
参議院決算委員長 次代
森元治郎
公職
先代
鈴木術
広島県呉市長
1954年 - 1961年
次代
奥原義人



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