松平直良領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 04:16 UTC 版)
「松平直良」も参照 松平直良は結城秀康の六男である。直良は生涯に実名をたびたび改めており、直良と名乗るのは晩年の延宝3年(1675年)である。木本藩主であった時代には初名の松平直久を一貫して名乗っているが、本項では直良で統一する。 上述の経緯で、寛永元年(1624年)6月に忠直の末弟・直良に2万5000石が与えられ、木本藩が成立した。陣屋は木本領家村に置かれたと見られ、春日山城に入ったとする見解もある。直良は、兄の忠昌の家臣であった津田九郎次郎・斎藤仁兵衛を家老として迎えている。 木本藩がどのような藩政を行ったかについては、史料などが断片的に残されているものの、はっきりとはわからない。17世紀後半の売買証文(売券)に「木本町」という表現が現れており、一定の町立てが行われたようである。領内の大野郡堂嶋村(大野市堂嶋)には金山(堂島金山)があった。 寛永12年(1635年)、越前勝山藩主であった兄の直基が大野藩へ移され、直良が越前勝山藩に加増の上で転封されて木本藩は廃藩となった。旧木本藩領2万5000石のうち、若猪野村(現在の勝山市若猪野)など5000石はそのまま直良の領地として残った(越前勝山藩の加増分となった)。 なお、直良は寛永21年(1644年)に直基が転出したあとの大野藩に移された。大野郡内で2度の移封を経験した直良は、延宝6年(1678年)に大野藩5万石の大名として生涯を閉じている。
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