松山と高知を結ぶ道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 14:28 UTC 版)
別名松山街道。大和時代に久万官道として開かれた道。愛媛県松山からは三坂峠を越え、久万、七鳥を経て、高知県側に入り、池川、大崎、佐川、伊野などを経由して高知に至る街道。愛媛県松山 - 久万間と高知県大崎-高知間はほぼ現在の国道33号のルートを通っていたが、久万 - 大崎間は仁淀川沿から外れて、現在の愛媛県道12号、国道494号、国道439号を通るルートであった。 明治時代になると、現在の仁淀川沿を通るルートが香川県出身の大久保諶之丞により四国新道として改修され、1920年、県道松山高知線に指定された。1945年(昭和20年)1月18日、国道23号に指定され、1952年(昭和27年)12月4日に一級国道33号に指定され現在に至る。 松山市と上浮穴郡久万高原町の境にある三坂峠(標高720 m)が最大の難所で、1967年(昭和42年)になり改修されたが、なお幅員の狭い所や最急8 %の勾配とつづら折れがある。この三坂峠の他にも数箇所が異常気象時に通行止となる事前通行規制区間に指定されている。また、冬季には-10℃以下に冷え込み、タイヤチェーン規制が布かれることもある。このため現在、高知松山自動車道の整備が進められている。かつて松山高知間を走る急行バスが国道33号で運行されていたが、高知自動車道の開通に伴いそちらを通る高速バスの運行が始まったため廃止された。
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