東海道線垂井駅転覆事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「東海道線垂井駅転覆事故」の解説
1919年(大正8年)7月29日 22時46分頃 東海道線垂井駅を通過中の神戸発東京行きの12急行列車が、垂井駅東方の相川橋梁付近で線路上に横転した補助機関車に衝突、急行列車の機関車は線路下の畑に転落、1両目の緩急車と2両目の一等寝台車は粉砕された。この事故で死者1名、重軽傷者21名を出した。急行列車には神戸の海運業の内田信也が乗っており、母と兄と乗っていたが内田と母は重傷、内田の兄は即死した。原因は駅員の不注意によるもの、補助機関車を下り線に入れ替えることを忘れそのまま放置したことによる。
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