東宝映画京都撮影所となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 08:05 UTC 版)
「J.O.スタヂオ」の記事における「東宝映画京都撮影所となる」の解説
1937年(昭和12年)10月、J.O.スタヂオは、東京砧のピー・シー・エル映画製作所、東宝映画配給、写真化学研究所の3社と合併、東宝映画株式会社が設立される。J.O.スタヂオは「東宝映画京都撮影所」、P.C.Lが同東京撮影所(現・東宝スタジオ)となった。森岩雄の招きで、円谷英二は砧の東京撮影所へ移籍。 当初は東京撮影所が現代劇、京都撮影所(J.O)が時代劇という制作分担だったが、東京の施設を拡充、時代劇も東京が製作するようになり、京都撮影所は東京撮影所の補助となる。 1938年(昭和13年)2月に今井映画製作所を吸収。 1941年(昭和16年)9月19日に閉鎖。跡地は大日本印刷 京都工場となっている。
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