東坊城徳長とは? わかりやすく解説

東坊城徳長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 13:57 UTC 版)

東坊城徳長

東坊城 徳長(ひがしぼうじょう よしなが、1869年6月26日明治2年5月17日[1]〉 - 1922年大正11年〉8月8日[1][2])は、日本華族。御歌会奉行貴族院議員を務める。官位正三位勲三等[2]子爵大学頭東坊城任長の子[1]。幼名は信丸[1]

略歴

父の隠居に伴い1878年(明治11年)7月に家督を相続[1]1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]。後に宮中に仕え、御製取調掛、掌典明治天皇御製臨時編纂部員、御歌所参候、御歌会始奉行等を歴任する[2]1911年(明治44年)7月10日、貴族院子爵議員に当選し[4]研究会に所属して死去するまで在任[2][5]東坊城家の先祖の菅原道真を祀る大田神社奉賛会である東風会会長を1902年(明治35年)より務めた。死後嫡男の政長が継いだ。

親族

次女の敏子(庶子[6])は大正期に貞明皇后付の女官として長年勤め、宮中でその美貌から禁廷に咲く白百合一輪、通称、白百合の局と呼ばれ、長田幹彦『小説天皇』のヒロインのモデルとなった。後に目黒雅叙園の創始者である細川力蔵に嫁いだ。俳優東坊城恭長は三男、女優の入江たか子(本名:英子)は三女、入江若葉は外孫に当る。

脚注

  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻, p. 391.
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史:貴族院・参議院議員名鑑』, p. 52.
  3. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』, p. 19.
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』, p. 30.
  6. ^ 東坊城徳長『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]

参考文献

関連項目

日本の爵位
先代
叙爵
子爵
東坊城家初代
1884年 - 1922年
次代
東坊城政長



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東坊城徳長」の関連用語

東坊城徳長のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東坊城徳長のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東坊城徳長 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS