東京高等師範学校入学、講道館に入門し 柔道家として頭角を現す
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1913年(大正2年)特別推薦により嘉納治五郎が校長を務める東京高等師範学校(現・筑波大学)体操専修科に入学。同時に柔道の講道館にも入門。入学して間もなく、講道館の紅白試合で初段を相手に5人抜きを行い、二段を授与。翌年には三段となり、その年の紅白試合で小田常胤ら7人を抜いて四段(当時、学生で講道館四段という高段者は岡部ただ一人)に昇進する。このころ、嘉納治五郎師範について各地を回り、模範実技を行う。比類なき猛者として武道を目指す少年達の憧れであったという。 1916年4月(大正5年)東京高等師範学校 研究科に進学。その夏、東ステと結婚。
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