東スラヴ人とは何か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 10:19 UTC 版)
後年になって、東スラヴの地を領土としたモスクワ国家(モスクワ大公国)や後継のロシア帝国が「東スラヴ人とはルーシ人、すなわち汎ロシア人であり、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人の共通の祖先である」という歴史学を唱えるようになった。これに対し、現代の東スラヴ人に含まれるウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人の各民族をそれぞれに独自の出自を持つ固有の民族とみなし、ルーシ人を汎ロシア人とみなすモスクワ歴史学に異議を唱えたウクライナ歴史学諸派は、帝政政府やソ連政府からの厳しい弾圧を受けることとなった。 なお、ウクライナ歴史学諸派によれば、居住地域、言語・伝統などを考えた場合、ルーシ人はウクライナ・ルーシ人(ウクライナ人やルシン人)になったと考えるのが妥当で、モスクワ歴史学でいうようにロシア人がルーシ人の直系の子孫であるのならば、彼らの近世に至るまでの出自が不明になってしまうという。彼らの歴史学では、東スラヴ人というのは並列する各民族の集合体であり、分岐する共通の祖先を前提とはしない。 ロシア人の地域にはもともとロシア人に連なる東スラヴ系の民族が居住しており、それらの民族がロシア人のルーツであるという意見がある一方、現代でも「ウクライナ人・ベラルーシ人などというのは民族主義に毒されてごく最近に現れた人工的な民族区分であり、本来彼らはすべてロシア人である」と主張する人も少なくはない。
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