村田四郎とは? わかりやすく解説

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村田四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 13:49 UTC 版)

日本基督教団合同前の日本基督教会代表の準備委員 後列左より,熊野義孝三吉務富田満小野村林蔵佐波亘浅野順一飯島誠太堀内友四郎、 前列左より,今村好太郎村田四郎金井為一郎,村岸清彦

村田 四郎(むらた しろう、1887年9月2日 - 1971年2月7日[1]は、日本神学者牧師明治学院5代目院長。

経歴

村田沰冶の四男として山口県吉敷郡山口に生まれた[1]1911年6月明治学院神学部を卒業した。その後1912年9月に渡米してオーバン神学校英語版で学んだ。1916年に帰国し、大阪同志館神学校教授に就任した[2]1918年に母校の明治学院に来任し、翌年中学部長となる[3]。しかし、1920年に起きた中学部同盟休校事件の責任をとり部長を辞任し、朝鮮の大邱教会牧師となった[4]

1925年に明治学院に戻り、神学部で基督教史を担当した[5]1930年の明治学院神学部廃止後日本神学校教授となり、1933年に同校校長となる[1]。さらに1943年日本東部神学校初代校長に就任し、翌年日本基督教団教学局長に転じた[6]

1948年4月、矢野貫城の後継者として、明治学院第5代目院長になる[7]。翌年には明治学院大学学長を兼任した[8]1953年指路教会牧師[1]1955年日本聖書協会理事長に就任[1]1957年3月明治学院院長を辞任[9]1959年関東学院大学神学部教授となった[1]1970年キリスト教功労者を受賞[10]

1971年2月7日、脳溢血により自宅で死去[1][11]。葬儀は横浜指路教会、明治学院、日本聖書教会の合同葬として横浜指路教会で行われた[12]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 日本キリスト教歴史大事典, p. 1388.
  2. ^ 明治学院百年史, p. 283.
  3. ^ 明治学院百年史, p. 283-285.
  4. ^ 明治学院百年史, p. 286-288.
  5. ^ 明治学院百年史, p. 325.
  6. ^ 『日本プロテスタント神学校史』 54頁
  7. ^ 明治学院百年史, p. 432.
  8. ^ 明治学院百年史, p. 434.
  9. ^ 明治学院百年史, p. 470.
  10. ^ 日本キリスト教文化協会 顕彰者一覧※2022年10月23日閲覧
  11. ^ 指路教会百年の歩み, p. 235.
  12. ^ 指路教会百年の歩み, p. 235-241.

参考文献

先代
高倉徳太郎
日本神学校長
1933年 - 1943年
次代
廃校
先代
新設
日本東部神学校長
1943年 - 1944年
次代
桑田秀延
先代
矢野貫城
明治学院長
1948年 - 1957年
次代
都留仙次



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