本稿の用語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 15:28 UTC 版)
「神奈川県の貝塚の一覧」の記事における「本稿の用語」の解説
時代細分は、例えば縄文前期黒浜式は縄文時代前期のなかで黒浜式土器期の意味。縄文早期は夏島式、稲荷台式、平坂式、田戸下層式、田戸上層式、子母口式、野島式、鵜ヶ島台式、茅山下層式、茅山上層式、下吉井式、神之木台式の順で古く、縄文前期は花積下層式期がおよそ7000-6700年前(1950年起点、以下同じく)、関山式期はおよそ6700-6450年前、黒浜式期は6450-6050年前、諸磯式期は6050-5600年前(そのなかで諸磯a式期は6050-5950年前、諸磯b式期は5950-5750年前、諸磯c式期は5750-5600年前)、縄文中期十三菩提式期は5600-5470年前、五領ヶ台式期は5470-5380年前、勝坂式期は5380-4900年前、加曾利E式期は4900-4420年前、縄文後期称名寺式期は4420-4240年前、堀之内式期は4240-3820年前、加曾利B式期は3820-3470年前、曽谷式期は3470-3400年前、安行1,2式期は3400-3220年前、縄文晩期の安行3式期は3220年前からである。縄文中期阿玉台式は勝坂式とほぼ同時代。いずれも1950年起点。また鹹水は塩辛い水、つまり海水のことで海産の貝(ハマグリなど)、汽水は海水と淡水の混じった河口付近の水でヤマトシジミなどが代表である。またマシジミなど淡水産の貝を主体とする貝塚もある。純鹹とは海産性の貝で出来た貝塚、主鹹は主に海の貝で形成された貝塚の意味である。
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