飛鳥寺とは? わかりやすく解説

飛鳥寺

(本元興寺 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 12:56 UTC 版)

飛鳥寺(あすかでら)は、奈良県高市郡明日香村飛鳥にある真言宗豊山派寺院山号は鳥形山(とりがたやま)[注釈 1]本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来。現在は正式には安居院という。開基(創立者)は蘇我馬子で、蘇我氏氏寺である法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身である。思惟殿は新西国三十三箇所第9番札所で本尊は聖観音である。


注釈

  1. ^ 古代の寺院には山号はなく、山号は後世付けられたものである。なお「鳥形山」は寺の北東、飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)のある山を指す。
  2. ^ 用明天皇2年(587年)の蘇我馬子による建立発願の記事では「法興寺」、推古天皇14年(606年)の丈六仏完成の記事では「元興寺」と表記され、壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)の記事中には「飛鳥寺北路」「飛鳥寺西槻」の表記がみられる。
  3. ^ 「露盤」とは塔婆の屋根上にある相輪の基礎部分を指すが、古くは相輪全体を指して露盤といった。
  4. ^ 「丈六光」は「丈六(一丈六尺)の仏像の光背」の意味。一丈六尺は約4.8メートルで、坐像の場合はその半分の法量を指す。詳細は法量参照。
  5. ^ 『元興寺縁起』本文及び「露盤銘」にも百済からの技術者派遣についての言及があるが、技術者の人数はそれぞれ異なっている。
  6. ^ 井上光貞監訳、佐伯有清・笹山晴生 訳『日本書紀II』中央公論新社〈中公クラシックス〉、2003年。ISBN 4121600584。"この歳、百済国は、使と、僧恵総えそう令斤りょうこん惠𥦽えしょくらとを遣わし、仏の舍利を献上した。百済国は、恩率おんそつ首信すしん徳率とくそつ蓋文こうもん那率なそつ福富味身ふくふみしんらを遣わして調をたてまつり、あわせて仏の舎利と、僧聆照律師りょうしょうりっし令威りょうい恵衆えしゅ(恵総と同一人か)恵宿えしゅく(惠𥦽と同一人か)道厳どうごん令開りょうけ(令斤と同一人か)ら、それに寺工てらたくみ(寺院建築の技術者)太良未太だらみだ文賈古子もんけこし鑪盤博士ろばんのはかせ(仏塔の相輪部分の鋳造技術者)将徳しょうとく白昧淳瓦博士かわらのはかせ麻奈文奴まなもんぬ陽貴文ようきもん㥄貴文りょうきもん昔麻帝弥しゃくまたいみ画工えかき白加を献上した"。 

出典

  1. ^ a b 大脇 1989, p. 12.
  2. ^ 浅井 (1999) p.10
  3. ^ a b c d e 岩城隆利 1999, p. 13-18.
  4. ^ 吉田一彦 2003, p. 346-307.
  5. ^ 木下正史『飛鳥幻の寺、大官大寺の謎』(角川書店、2005)、p.19; 黒崎直『飛鳥の宮と寺』(日本史リブレット71)(山川出版社、2007)p.4、ほか諸資料
  6. ^ 大脇 1989, p. 7.
  7. ^ 大橋 (1996) p.133
  8. ^ 大橋 (1997) pp.135 - 136
  9. ^ a b 浅井 (1999) p.8
  10. ^ 大橋 (1997) pp.178 - 179, 204 - 205
  11. ^ 大脇 1989, p. 29.
  12. ^ 大脇 1989, p. 45-52.
  13. ^ 大脇 1989, p. 41.
  14. ^ 岩城隆利 1999, p. 18-19.
  15. ^ 岩城隆利 1999, p. 34-36.
  16. ^ 岩城隆利 1999, p. 36-38.
  17. ^ 岩城隆利 1999, p. 38-40.
  18. ^ 竹内亮「大寺制の成立と都城」『日本古代の寺院と社会』(塙書房、2016年) ISBN 978-4-8273-1280-5
  19. ^ a b 本郷真紹「古代寺院と学僧」、根本誠二 他編『奈良平安時代の〈知〉の相関』(岩田書院、2015年) ISBN 978-4-87294-889-9
  20. ^ 岩城隆利 1999, p. 24-27.
  21. ^ 『日本書紀』天武天皇9年3月条
  22. ^ 大脇 1989, p. 20.
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  24. ^ 岩城隆利 1999, p. 189-192.
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  26. ^ 大脇 1989, p. 42-43.
  27. ^ 大脇 1989, p. 43-44.
  28. ^ 久野 (1984) pp.49 - 52
  29. ^ 久野 (1984) p.54
  30. ^ 大脇 1989, p. 44-45.
  31. ^ 「飛鳥大仏 ほぼ造立当初のままの可能性 文学学術院・大橋教授らがX線分析、従来の見解覆す研究成果」(早稲田大学サイト)]
  32. ^ (藤田ほか、2017)、pp.85, 97, 98
  33. ^ (藤田ほか、2017)、pp.63, 85
  34. ^ (藤田ほか、2017)、pp.63, 87
  35. ^ a b (藤田ほか、2017)、p.63
  36. ^ (藤田ほか、2017)、pp.63, 64, 65, 87
  37. ^ 竜山石は長いあいだ凝灰岩だと言われていたが、近年の研究で水中自破砕溶岩ハイアロクラスタイト)であると特定された。
  38. ^ 大脇 1989, p. 54-56.
  39. ^ 大脇 1989, p. 25-27,36.
  40. ^ 大脇 1989, p. 28-30.
  41. ^ 大脇 1989, p. 31-32.
  42. ^ 大脇 1989, p. 33-34.
  43. ^ 大脇 1989, p. 35-36.
  44. ^ 大脇 1989, p. 37-38.
  45. ^ 飛鳥寺塔心礎の埋納品(奈良文化財研究所サイト)
  46. ^ 清永洋平「009 飛鳥寺の塔の埋納物 飛鳥資料館のみどころ(12)」『奈文研ニュース : 奈文研ニュース』第21号、独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所、2006年6月、8-8頁、doi:10.24484/sitereports.16780-12841NAID 120005523814 
  47. ^ 『飛鳥寺と飛鳥大仏解説書』、明日香村・関西大学文学部考古学研究室、2013
  48. ^ http://npokokusaibunnkazai.web.fc2.com/04.html 諫早直人「舎利荘厳具から見た飛鳥寺と王興寺」(講座資料(特に資料3)、2017年2月17日、於大阪韓国文化院)、NPO法人国際文化財研究センターサイト
  49. ^ 飛鳥資料館第一展示室展示品目録
  50. ^ 「飛鳥寺の塔跡から真珠 仏教の七宝、創建時埋める」(産経新聞2017年7月6日)」
  51. ^ 田村朋美「005 飛鳥寺塔心礎に埋納された真珠小玉」『奈文研ニュース : 奈文研ニュース』第63号、国立文化財機構奈良文化財研究所、2016年12月、6頁、doi:10.24484/sitereports.18960-13251NAID 120005905799 
  52. ^ 京都国立博物館:学叢ホームページ版第16号(1994/3/31)森郁夫(1994), 「わが国における初期寺院の成立」『学叢』 16号 p.22
  53. ^ 奈良国立文化財研究所: 学報第5冊(1958年)『飛鳥寺発掘調査報告書』p.36
  54. ^ 納谷守幸軒丸瓦製作手法の変遷 - 飛鳥地域出土の7世紀前半代の資料を中心として - (PDF) 『明日香村文化財調査研究紀要』第4号、明日香村教育委員会、2004/12
  55. ^ 銅造釈迦如来坐像(本堂安置) - 国指定文化財等データベース(文化庁
  56. ^ 飛鳥寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁


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