木村浩吉 (海軍軍人)とは? わかりやすく解説

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木村浩吉 (海軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 06:44 UTC 版)

木村 浩吉(きむら こうきち、1861年8月28日文久元年7月23日) - 1940年昭和15年)1月14日[1])は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将従四位勲三等功四級

経歴

幕臣木村芥舟の二男として江戸で生まれた。1870年横浜早矢仕有的の塾に学ぶ。1882年11月、海軍兵学校9期)をハンモックナンバー第3位で卒業し、1885年8月、海軍少尉任官。日清戦争には「松島」水雷長として出征し、黄海海戦に参加した。そのときの海戦実記を詳細に記録し、出版したものが江湖の評判を呼び、また今も貴重な資料として残っている。

大本営御用掛、軍令部出仕、同部諜報課員、同部第3局員などを経て、海軍大学校で選科学生として学んだ。さらに、海大教官、「厳島」「敷島」の各副長、「愛宕」「扶桑」の各艦長、横須賀水雷団長心得、兼砲術練習所長などを歴任。日露戦争には、「日光丸」艦長として出征した。

1904年7月、海軍大佐に進級。佐世保鎮守府付、呉水雷団長、水雷術練習所長、海軍水雷学校長、佐世保水雷団長などを経て、1909年12月、海軍少将に進級。舞鶴水雷団長を勤め、1912年12月、予備役に編入され、1917年7月23日、後備役となる[2]1922年7月に退役した。

栄典

位階
勲章等

家族

脚注

  1. ^ 『官報』第3922号、1940年2月5日。
  2. ^ 『官報』第1495号、大正6年7月25日。
  3. ^ 『官報』第2194号「叙任及辞令」1890年10月21日。
  4. ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
  5. ^ 『官報』第4096号「叙任及辞令」1897年3月2日。
  6. ^ 『官報』第4413号「叙任及辞令」1898年3月22日。
  7. ^ 『官報』第5963号「叙任及辞令」1903年5月21日。
  8. ^ 『官報』第7813号「叙任及辞令」1909年7月12日。
  9. ^ 『官報』第126号「叙任及辞令」1912年12月29日。
  10. ^ 『官報』第3578号「叙任及辞令」1895年6月5日。
  11. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」明治28年11月29日。
  12. ^ 『官報』第3828号・付録「辞令」1896年4月7日。p4
  13. ^ 『官報』第5072号「叙任及辞令」1900年6月1日。
  14. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  15. ^ 『官報』第6271号「叙任及辞令」1904年5月28日。
  16. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
  17. ^ 『官報』第1311号・付録「辞令」1916年12月14日。p1

参考文献

外部リンク




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