木村東介とは? わかりやすく解説

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木村東介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 01:45 UTC 版)

きむら とうすけ
木村 東介
生誕 1901年4月8日
山形県米沢市
死没 (1992-03-11) 1992年3月11日(90歳没)
職業 美術商
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木村東介(きむら とうすけ、1901年4月8日 - 1992年3月11日[1])は美術商。本名は文雄。山形県米沢市出身。建設大臣などを務めた木村武雄は弟。

来歴・人物

山形県議会議員を務めた木村忠三の長男として生まれる[2]

米沢商業学校を中退して上京。やくざな生活や院外団暮らしを続け、一時は憲政公論社に入社。乱闘で片腕を失う。法廷で出会った裁判官の人格と気骨に打たれ改心する[3]

柳宗悦の指導を受け[3]1936年、東京・湯島天神下に羽黒洞を創立。肉筆浮世絵大津絵泥絵などの民族美術を取り上げる[2]1960年上野池之端に不忍画廊(しのばずがろう)を開く(2012年日本橋に移転)。

放浪の画家である長谷川利行の絵画、米沢出身の東洋思想家宮島詠士の書を世に紹介した。戦後は、瞽女を描いた斎藤真一を世に問い、瞽女ブームをつくった[2]吉川英治勅使河原蒼風らの知遇を得たほか、潜行中であった辻政信をかばった。弁も筆も立ち、芸術院日展の腐敗を攻撃し、有名画商と人気画家の腐れ縁を弾劾した。その一方で、現代の不遇な異色画家を後援した[3]

1992年3月11日心不全で死去。90歳没[4]。墓所は東京都文京区湯島麟祥院

著書

  • 『ランカイ屋憂愁―鬼才荘八追想記』大西書店、1976年。
  • 『女坂界隈』大西書店、1976年。
  • 『不忍界隈』大西書店、1978年。
  • 『上野界隈』大西書店、1979年。
  • 『湯島界隈』大西書店、1980年。
  • 『切通し界隈』博文館新社、1980年。ISBN 4891779012
  • 『池の端界隈』青英舎、1982年。ISBN 479522210X
  • 『米沢の雪―随想』羽黒洞、1982年。
  • 『文化庁長官への提言』大陽工業吉生会、1984年。
  • 『浮世絵渡世』羽黒洞、1989年。
  • 『東介波瀾万丈 : 民族美術に賭けた一生』銀座屋出版社、1991年。
  • 『言い残したこと』羽黒洞木村東介、1993年。
  • 『ランカイ屋東介の眼―ピカソより北斎、ゴッホより利行』羽黒洞木村東介、2001年。ISBN 4753413853

脚注

  1. ^ 「木村東介 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10498.html(閲覧日 2024-03-05)
  2. ^ a b c 『新版山形県大百科事典』p.148
  3. ^ a b c 「新人国記82 山形県5 そんぴんの風土」『朝日新聞』夕刊 1982年10月27日
  4. ^ 『日本経済新聞』1992年3月12日

参考文献

  • 山形放送株式会社新版山形県大百科事典発行本部事務局編 『新版山形県大百科事典』 山形放送、1993年。

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