朝鮮国内の甲午農民戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:03 UTC 版)
詳細は「甲午農民戦争」を参照 1890年代の朝鮮では、日本の経済進出が進む中(輸出の90%以上、輸入の50%を占めた)、米・大豆価格の高騰と地方官の搾取、賠償金支払いの圧力などが農村経済を疲弊させた。1894年(光緒20年)春、朝鮮で東学教団構成員の全琫準を指導者に、民生改善と日・欧の侵出阻止を求める農民反乱甲午農民戦争(東学党の乱)が起きた。5月31日(4月27日)、農民軍が全羅道首都全州を占領する事態になった。朝鮮政府は、清への援兵を決める一方、農民軍の宣撫にあたった。なお、6月10日または11日(5月7日または8日)、清と日本の武力介入を避けるため、農民軍の弊政改革案を受け入れて全州和約を結んだとする話が伝わっている(一次資料が発見されていない)。
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