望まぬ王位請求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 09:01 UTC 版)
「オンフロワ4世・ド・トロン」の記事における「望まぬ王位請求」の解説
シビーユの母方の叔父ジョスラン3世・ド・クルトネー(英語版)は、摂政となったトリポリ伯レーモン3世を説得し、国内の貴族をティベリアスに集めて会議を行うためにエルサレムを離れさせた。そして摂政がエルサレムを離れたのを見計らって、ジョスラン3世はシビーユとギー・ド・リュジニャンをエルサレムに呼び戻した。裏切られたことに気づいたレーモン3世は、すぐにナーブルスで高等法院を召集した。オンフロワ4世を含むほぼすべてのエルサレム帰属はナーブルスに向かったが、ルノー・ド・シャティヨンだけはエルサレムに赴いた。レーモン3世についた貴族たちは、エルサレムに使者を送ってシビーユとギー・ド・リュジニャンに翻意を促し、ボードゥアン5世没後の問題を高等法院に任せるよう求めた。しかしシビーユはこれを無視して、エルサレム総大司教ヘラクリウスから戴冠を受けてエルサレム女王となり、夫の頭にも王冠をかぶせた。程なくして、レーモン3世の発案により、ナーブルスの貴族たちはイザベルとオンフロワ4世をシビーユ夫妻に対する対立王に立てることにした。 レーモン3世らはエルサレムへの進軍を主張したが、当のオンフロワ4世はエルサレム王位を欲しがらなかった。彼は夜中に密かにナーブルスを離れて、シビーユに面会するべくエルサレムへ赴いた。当初シビーユは彼を拒絶したが、彼の意図を知ると、彼をギー・ド・リュジニャンのもとに連れて行った。オンフロワ4世はギー・ド・リュジニャンに忠誠を誓い、自らとイザベルに戴冠するという陰謀に終止符を打った。これを受けて、レーモン3世とボードゥアン・ディブランを除くすべての貴族たちが急いでエルサレムに戻り、ギー・ド・リュジニャンに臣従した。ギー・ド・リュジニャンはかつて1180年にオンフロワ4世が蜂起したトロンとChastel Neufを1186年にジョスラン3世に与えた上で、それをオンフロワ4世に返還し、今のオンフロワ4世の所領と交換するよう指示した。
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