最初の特殊貨幣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 09:13 UTC 版)
「ハンセン病療養所の特殊通貨」の記事における「最初の特殊貨幣」の解説
ハンセンがこの疾患をおこす菌を発見したのが1873年である。その後ドイツのメーメル地方(Memel州、現在リトアニア)のハンセン病発生を受けて、1897年の第1回ハンセン病国際会議でようやく伝染説が国際的に確立された。その後、一部のらい療養所に菌の伝播を防ぐ目的で、その療養所だけに通用する通貨(主に貨幣)ができた。伝染性はそう強くないとも発表されたが、当時の理解では、必要とされたのである。らいのコロニーは当時既にハワイのモロカイ島などにあったが、最初に特殊貨幣が作られたのはコロンビアのAgua de Dios, Cano de LoroとContratacionという場所の3か所のコロニーであった。これはコロンビア政府が作った 2.5 Centavos, 5 Centavos, 10 Centavos, 20 Centavos, 50 Centavosの貨幣であり、マルタ十次会"Lazareto"とあるから、この会と関係あるものと思われる。材料には黄銅を用いた。裏面に "Republica de Columbia 1901" という刻印が押されている。続いて1907年には銅ニッケルで1,5,10 Peso が作られた。1921年においても材料は同じであった。1950年代後半にコロニーは閉鎖され普通の通貨となった。
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