曾根崎五人斬りとの結合:小万源五兵衛
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元文2年(1737年)、大坂・曾根崎新地において、薩摩藩士の早田八右衛門が湯女の菊野ら5人を殺害する事件(曾根崎五人斬り)が発生した。この事件はさまざまに演劇化された(『置土産今織上布(おきみやげいまおりじようふ)』、『国言詢音頭(くにことばくどきおんど)』、『五人切五十年廻(ごにんぎりごじゆうねんかい)』、『薩摩節五人切子(さつまぶしごにんきりこ)』など)。並木五瓶の歌舞伎脚本『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』(通称「五大力」、1795年初演)もその一つである。 『五大力恋緘』の成立はやや複雑で、もとは五瓶が手掛けた『島廻戯聞書』(しまめぐりうそのききがき、1794年初演)の一部である。『島廻戯聞書』の後半部分を独立させ、江戸での公演にあたって舞台を江戸深川に移し、登場人物の名を『薩摩歌』と結び付けて主人公を「勝間源五兵衛」と「小万」とした(初演時にはヒロインの名は「菊野」であった)、これにより「小万源五兵衛」の組み合わせとなった。 『五大力恋緘』にはさまざまな改作があり、五瓶自身も『略三五大切(かきなおしてさんごたいせつ)』を手掛けている。改作の中では、四世鶴屋南北が『仮名手本忠臣蔵』の世界と結び付けて『東海道四谷怪談』の後日談とした『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』が著名である。
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