北条時子
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北条 時子(ほうじょう ときこ、生没年未詳)は平安時代末期から鎌倉時代前期の北条氏一族の女性[1]。鎌倉幕府初代執権北条時政の娘[1]。北条氏得宗義時流[1]。御家人である足利義兼の正室で、足利義氏、野田朝氏室の母[1]。母は未詳だが、北条政子の同母妹とみられている[2]。他に兄弟は、宗時、義時、時房、阿波局、政範など。実名は未詳で、時子と伝承されているものの、その典拠は不明(保子との説も有り。)[1]。法号は智願院殿。
注釈
- ^ 6代目当主の足利家時と8代目足利尊氏は側室の上杉氏の所生である。家時は霜月騒動の余波で切腹し、尊氏は北条氏を滅ぼすこととなる。
- ^ 運慶作と伝わる光得寺(足利市)と、2008年3月に真如苑がニューヨークの競売で落札した大日如来像2体は、義兼の発願に拠るものとされ、「鑁阿寺樺崎縁起並仏事次第」には台座に瑠璃王と薬寿御前の遺骨が納められたと記されている。
出典
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