智頭町飲酒運転事故
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智頭町飲酒運転事故(ちづちょういんしゅうんてんじこ)は、1999年(平成11年)に発生した飲酒運転による交通事故。被害者の遺族は事件後に各地で交通事故遺族の署名活動や講演活動を行い、うち1人は2017年に『見えるいのちと見えないいのち』を出版した[1][2][3]。
概要
1999年(平成11年)12月25日、鳥取大学に通う大学生4人は岡山県で行われているクリスマスのイルミネーションを見るために車で出かけた。その帰途、12月26日の未明に鳥取県八頭郡智頭町の国道53号のトンネルで、飲酒運転をしていたトラックが対向車線からはみ出してきて正面衝突した[4]。この事故で大学生のうちの3人が死亡、1人が重傷を負った[4][5]。
トラックの運転手は女性に交際を断られた憂さ晴らしから飲酒し、酔いが醒めないまま車を運転していた[6]。
2000年(平成12年)1月5日、智頭警察署はトラックの運転手を道路交通法違反(飲酒運転)と業務上過失致死傷容疑で逮捕した[7]。運転手は事故の際に骨折などの重傷を負ったため、病院での回復を待って逮捕した[7]。
刑事裁判
トラックの運転手は道路交通法違反(飲酒運転)と業務上過失致死傷罪に問われた(事件当時は危険運転致死傷罪は未制定)[8]。
2000年(平成12年)3月2日、鳥取地裁(田邉直樹裁判官)で初公判が開かれ、罪状認否で被告人は起訴事実を全面的に認めた[9]。冒頭陳述で検察側は、事故前に被告人が缶ビール1本と日本酒3合を飲酒していたと述べた[9]。
2000年(平成12年)4月27日、鳥取地裁(田邉直樹裁判官)は「被告は普段から飲酒運転を繰り返しており、健気な努力を続けてきた若者の命を奪った責任はあまりにも重大」として懲役3年(求刑:懲役4年)の実刑判決を言い渡した[10]。
事件後
死亡したうちの1人の親は、他界した父を継ぎ住職を兼任する大学教授[11]であり、事故以降夫妻で各地で講演やこの事故の死者の写真や遺品を展示するイベントを行ってきた。2022年(令和4年)8月の時点で、その回数は400回を越える[5]。
2020年(令和2年)4月に島根県警察本部が作成した被害者遺族手記集に、被害者の1人の遺族の手記が掲載された[12]。
脚注
- ^ 『読売新聞』2006年12月3日 島根 大阪朝刊 島根2 34頁「犯罪被害者の苦悩知って 「支援月間」に合わせ、松江で相次ぎ講演会=島根」(読売新聞大阪本社)
- ^ 『毎日新聞』2008年7月11日 地方版/福岡 21頁「講演:娘亡くした◯◯さん、飲酒運転追放訴え--新宮 /福岡」(毎日新聞西部本社)
- ^ “見えるいのちと見えないいのち”. amazon. 2023年2月21日閲覧。
- ^ a b 「鳥取事故:トラックが中央線越え 女子大生3人死亡2人重傷」『毎日新聞』1999年12月26日。オリジナルの2001年6月25日時点におけるアーカイブ。2025年2月5日閲覧。
- ^ a b 「飲酒運転の車に娘奪われた夫婦 命の尊さ訴え講演や展示400回以上」『朝日新聞』2022年8月2日。オリジナルの2023年2月21日時点におけるアーカイブ。2023年2月21日閲覧。
- ^ 「「娘の死を無駄にはしない」飲酒運転の悲劇、伝え続ける父の思い」『西日本新聞』2020年8月26日。オリジナルの2023年2月21日時点におけるアーカイブ。2023年2月21日閲覧。
- ^ a b 『朝日新聞』2000年1月6日 朝刊 鳥取29頁「ダンプ運転手を道交法違反で逮捕 智頭町の3人死亡事故 /鳥取」(朝日新聞大阪本社)
- ^ 『読売新聞』2000年1月27日 鳥取 大阪朝刊 鳥取27頁「鳥取大女子学生死傷の交通事故 トラック運転手を起訴=鳥取」(読売新聞大阪本社)
- ^ a b 『読売新聞』2000年3月3日 鳥取 大阪朝刊 鳥取31頁「智頭の鳥取大生4人死傷事故 被告、起訴事実認める 地裁初公判=鳥取」(読売新聞大阪本社)
- ^ 『読売新聞』2000年4月28日 鳥取 大阪朝刊 鳥取31頁「女子大生4人死傷事故 運転手に懲役3年判決 「ふだんから飲酒運転」=鳥取」(読売新聞大阪本社)
- ^ “江角 弘道”. 科学技術振興機構. 2023年2月21日閲覧。
- ^ “被害者遺族手記集”. 島根県警察. 2023年2月21日閲覧。
関連項目
- 同様の飲酒運転が原因による交通事故
- 智頭町飲酒運転事故のページへのリンク