普通警察制度の一部導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:40 UTC 版)
「日本統治時代の朝鮮」の記事における「普通警察制度の一部導入」の解説
1910年(明治43年)6月29日、帝国政府は統監府警察官署官制を発布し、警務総長、警務官、警務部長、警視、警部、技師、通訳官、技手、通訳生、警察醫、巡査、巡査補を組織した。 1910年(明治43年)7月、大韓帝国より警察権の全面委託を受け、中央に警務総監部、地方に警務部を置いた。このときに憲兵警察制度も採用した。一般警察と憲兵が同一の地域に混在していたわけではなく、フランスのフランス国家憲兵隊(ジャンダルムリ)のように担当の地域が決まっていた。軍警の地域分担は、おおむね以下の通りで、その配置には「警察事務の能率増進」のため、軍警の重複を極力避けた。一般警察 - 鉄道沿線、港、都市部 憲兵 - 軍事上枢要の地、国境、一般警察が整備されていない地域 1910年(明治43年)8月韓国併合。この年、「憲兵警察」と「一般警察」を合わせた人数は、7712名(その内、朝鮮人は4440名)。うち「憲兵警察」は2019名(その内、憲兵補助員としての朝鮮人が1012名)であった。
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