春秋・正統論
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「春秋」および「正閏論」も参照 歴史書の『春秋』は、儒教の教説によれば、孔子が君臣の分を正すために制作した史論的な歴史書であるとされる。とりわけ、各国の君主の「死」の言い方や爵位名称などの記述にそれが表れているとされる。『春秋』は経書の一つに含められ、伝統的に儒学者たちに重んじられた。 そのような『春秋』の伝統と並行して、儒教では古くから「王」という称号が議論の的になってきた。すなわち、戦国時代には「戦国七雄」として知られるように各国の君主が「王」を名乗ったが、儒教においては、複数の君主が同時に「王」を名乗ることは有ってはならないとされる。「王」に関してはその他にも、『孟子』『荀子』で論じられる「王覇の辨」(王道と覇道の区別) や、『孟子』梁恵王下篇で論じられる「一夫」(湯武放伐の正当化)などの「王」論がある。 以上のような『春秋』と「王」論の伝統を踏まえて、後世の史論においては「正統論」が論じられた。正統論はとりわけ宋代に盛んになり、欧陽脩・蘇軾・司馬光・章望之・朱熹らによって、主に三国時代の曹魏と蜀漢をめぐる正統論争が展開された。この正統論争で論点になったのは、『春秋公羊伝』に由来する「一統」と「居正」の対比の問題、すなわち、王朝の成立条件は政治的支配力なのか君臣の徳義なのか、という問題だった。そのような正統論争を背景として、司馬光『資治通鑑』、朱熹『資治通鑑綱目(中国語版)』などの歴史書が著され、日本でも広く読まれた。また日本では、南北朝正閏論が古くから論じられた。
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