明石機関区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/03 13:59 UTC 版)
機関区開設期間は約13年と短かったが、そのほとんどの期間にC53形が配属され、超特急「燕」をはじめとした東海道本線の優等列車牽引を担当していたことから、「C53の明石か、明石のC53か」と言われるほど、優等列車用のC53形専門機関区として有名であった。もっとも、開設当時は京阪神地区の東海道・山陽本線の電化開業前であったことから、前身の神戸機関庫が担当していた優等列車仕業と京阪神間の区間列車の運行も併せて担当しており、区間列車用のC10形なども配属されていた。1934年7月20日の吹田駅 - 須磨駅間の電化開業に伴い、これらの列車が電車化されたことから、C53形と入換用の6760形以外の機関車は転出、1941年以降にC59形が配属されてC53形を置き換えるまで、C53形の全盛時代が続いた。この他、1934年9月の須磨~明石間電化開業まで同区間で暫定的に運転された、キハ41000形ガソリンカーも配属されていた。 C51形 C50形 C10形 C53形 6760形 B50形 C59形 キハ41000形気動車
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