旧約聖書の律法における善悪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 15:42 UTC 版)
旧約聖書においてはモーセ五書を律法という。 ヘブライ語の善(טוב)と悪(רע)の意味は、モーセ五書創世記2章9節に起因し、食べるために「良いか悪いか」、また創世記3章6節では善(טוב)について「良い」や「good」の他に「おいしそう」という意味もある。 口語訳聖書創世記2章9節 また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。 新共同訳聖書創世記2章9節 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。 口語訳聖書創世記3章6節 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。 新共同訳聖書創世記3章6節 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 欽定訳聖書創世記3章6節 And when the woman saw that the tree was good for food, and that it was pleasant to the eyes, and a tree to be desired to make one wise, she took of the fruit thereof, and did eat, and gave also unto her husband with her; and he did eat.
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