旧多宝塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:55 UTC 版)
後述の大日如来坐像を安置することから「大日堂」とも呼ばれており、寺伝によれば建立は室町時代とされる。露盤には江戸時代初期の慶安2年(1649年)の銘が刻まれており、13世・円慶による大修理の記録と考えられているが、その文面から円慶が再興・建立したとする説もある。「張州勝藍開帳集」や「尾張名所図会」にも描かれた、二層構造の多宝塔だったが、明治維新ののちに寺とともに荒廃し、さらに1891年(明治24年)の濃尾地震で大きな被害を受けたことから上層は撤去され、下層のみの現在の姿になった。また、この際に相輪も2つを残して取り除かれている。さらに1959年(昭和34年)の伊勢湾台風でも被害を受けたため、1970年(昭和45年)に修復が行なわれた。2014年(平成26年)10月に国の登録有形文化財に登録された。
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