日本維新の会への合流
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2012年11月14日、民主党を離党して日本維新の会に合流する意向を表明した。11月19日には民主党に離党届を提出し、民主党は11月21日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とすることを決定した。閣僚経験のある民主党議員の維新の会への入党は、小沢が初めてである。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、小沢の離党に激怒した民主党幹事長・輿石東(参議院山梨県選挙区選出)の主導により、民主党は山梨1区に既に政界引退を表明していた内閣官房副長官の斎藤勁を、小沢を落選させることだけを目的に擁立。このため、輿石の狙い通り非自民票が分散し、自民党新人の宮川典子に2万票超の大差で敗北。2000年の第42回衆議院議員総選挙以来、守り続けていた山梨1区で議席を失ったが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、7選した。選挙後、日本維新の会国会議員団国会対策委員長に就任。なお2013年時点で民主党の派閥「国家研」には引き続き籍を置いていた。
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