日本綿花の経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 02:29 UTC 版)
日本綿花創業まもなく、1894年(明治27年)には綿花取引量が増加したにもかかわらず、為替相場暴落で当時としてはかなりの損失を生じ、1895年(明治28年)田中が社長に就任して、挽回、回復につとめた。ここで田中は創業期の基礎をかため1898年(明治31年)10月に辞任して、竹尾治右衛門に社長をゆずった。1901年(明治34年)1月に竹尾の後を受けて田中の嗣子田中市太郎が社長に昇任するが1908年(明治41年)病死する。そこで同年11月の臨時株主総会において田中市兵衛と竹尾治右衛門を取締役に加え、田中は再び社長に就任し1910年(明治43年)9月まで在任した。
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